JOE MEDWICK(ジョー・メドウィック)
Joseph Michael Medwick
1911.11.24生まれ1975.3.21没
ニュージャージー州カートレット出身
右投げ右打ち
外野手
「ダッキー(あひる)」と呼ばれた生涯打率.324の強打者。
1932年、セントルイス・カージナルスでデビュー。
翌33年から、正左翼手となり、打率.306、18本塁打、98打点(4位)をマーク。
以降、10年連続で打率3割、34年から6年連続100打点以上を記録した。
ハードなプレーが売り物で、有名なのが、1934年のワールドシリーズ。
デトロイト・タイガースとのシリーズだったが、当たりに当たったメドウィックは、
29打数11安打と爆発したが、最終第7戦で相手三塁手のマーク・オーエンに対して
猛烈なスライディングをぶちかました。
この時点で、11−0と大量リードされていたタイガースファンが激怒し、そのウラに守備についた
左翼のメドウィックに対して、ありとあらゆるものを投げつけた。
試合は一時、中断し、ランディス・コミッショナーの「身の安全のために」という命令で
ベンチに下げられた。
36年は、64二塁打をマーク、現在もナ・リーグ記録となっている。
この年から、3年連続打点王に輝く。
そして、37年。
25歳のメドウィックは、打率.374、31本塁打、154打点で三冠王。
さらに、237安打、56二塁打、111得点、長打率.641の7部門でリーグ1位となり
MVPを受賞した。
39年に5年間で、4度目の200安打を達成。
しかし、40年途中で12万5000ドルの移籍金でブルックリン・ドジャースに移籍。
この年の6月の頭部にボールをぶつけられ、昏倒。
これが原因で、その後は以前のような成績が残せなかった。
43年途中から、ニューヨーク・ジャイアンツ、45年途中からボストン・ブレーブス、
46年ブルックリン・ドジャース、47年から古巣カージナルスへ戻り、48年で引退した。
1968年に殿堂入り。
<通算>
1984試合 7635打数2471安打 540二塁打 113三塁打 205本塁打
1383打点 11198得点 42盗塁 551三振 437四球 打率.324=17年
<タイトル>
MVP1回(1937年) 首位打者1回(1937年) 最多安打2回(1936,37年)
本塁打王1回(1937年) 打点王3回(1936〜38年)
得点王1回(1937年) オールスター10回(1934〜42,44年)
Batting Stats
YEAR
1932 |
TEAM
St.Loius Cardinals |
G
26 |
AB
106 |
R
13 |
H
37 |
2B
12 |
3B
1 |
HR
2 |
RBI
12 |
SB
3 |
SO
10 |
BA
.349 |